ヴェルサイユ宮殿がピカピカになった!

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 ここもベタな観光地ですが、初めての2人(家族)を連れて見せなくてはと思い足を運びましたが、着いてみてわたしのほうがビックリ!!


 え?



 これまで見たことが無いくらいにキレイになっているではないですか!



 と思ったら、2003年から17年越しの改修工事をしていたのですな。


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 屋根がピカピカになっています!!


 左側が今までのヴェルサイユ。


 右側が改修後のヴェルサイユです。


 それぞれ隠しながら比べてみると、印象が全く違いますね〜。


 当時はこんなにキレイだったのか・・・。



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 足場の上で職人さん達が打ち合わせをしています。



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 入り口の門もキレイになっています。

 ルイ14世が造らせたものです。


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 室内の扉もルイ14世。



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 外窓のレバー金具もいちいち豪華です。



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 ルイ16世とマリー=アントワネットの食事テーブルセット。

 写真の奥のほうがマリー=アントワネットだそうです。

 夕食は毎晩10時過ぎに、30人以上の見物人を前にしての食事。

 オーストリアのハプスブルグ家ではこんな習慣がないマリー=アントワネットは、ブチ切れそうになっていたそうな・・・。




鏡の間.jpg


 言わなくても良さそうなくらい有名な鏡の間。


 ちなみにこれと全く同じ造りで長さが8m長い鏡の間が存在します。

 ルイ14世に憧れたバイエルン国王ルードヴィッヒ2世が、ミュンヘン近郊でオーストリア国境に近い、真ん丸く可愛らしいキーム湖のヘレン島に、ヴェルサイユ宮殿をそっくりそのまま建てたヘレンキームゼー城がそれです。
 
 ルードビィッヒ2世の死後直ぐに建設が中断されたままなので、未だに内部には当時の足場が掛ったまま未完成ですが。






欧州紀行 パリそぞろ歩き ベタ観光地編

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 今回は高級住宅街16区の一角、パッシー地区にあるLE HAMEAU DE PASSY(ル・アモー・ド・パッシー)を予約しました。

 御大ル・コルビジェのアトリエやアール・ヌーヴォーなどの貴重な建造物も近いです。


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 お部屋から入り口になっている中庭を撮影。時計店やバッグなどのファッション専門店を抜けて行くと、ビューティーサロンが入り口目の前にあります。




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 割と近くにあるエッフェル塔。

 ちょっと歩くとこのような光景が。



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 真下に入ってみました。

 エレベーターは長蛇の列でしたので、疲労も考えて上に上がるのを断念。





 シャンゼリゼ通りまで来ました。

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 IKKOさんも大絶賛のセフォラ店内です。



 男性の店員さんも数人小指を立ててうっとりとして化粧しています、彼らもほとんど・・・。



 IKKOさんが評価する気持ちが、違った見方から解るような気がします。



 ただ御覧の通り、かなりスタイリッシュな店内です。

 化粧品も安い!




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 同じ並びにスワロフスキーが。

 ロンドンの店舗にも入りましたが、やはりここが一番オシャレでした。




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 電話ボックスを一枚。

 さすがにパリジャンもほとんど携帯電話で通話していましたので、以前より数が減った気がします。




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 エトワールの凱旋門の前に来ました。

 ここはいつも人影が絶えませんが、何をするわけでもなくベンチに座ったり立ったまま時を過ごしている方が多いです。

 うちの家族と同様にほとんど観光客だと思われますが、パリジャンもかなり多く見受けられます。



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 凱旋門へは地上からは行けませんので、地下道を通ります。

 近くで見ると汚れていますが、照明によって全体のバランスも取れて美しい佇まいになっているのがポイントです。



エトワール広場の凱旋門.jpg

 また下から撮影してみました。

 ナポレオン・ボナパルトはこの光景を結局見ていないのですね。

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 凱旋門屋上からのシャンゼリゼ通りです。

 ここはエッフェル塔と違い、空いているので結構穴場の景色です。




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 反対側は新凱旋門の方向です。

假屋崎省吾さんが目黒雅叙園で

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 宿泊先の目黒雅叙園にて假屋崎省吾さんのお花のイベントが開催されていました。


 初日だったせいかお祝いのお花の数がすごいです。


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 見たことがある名前ばかりですね。


 会場には假屋崎さんご本人もいらっしゃいました。

 TV通りのとても元気な方です。


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目黒雅叙園のエントランスホール.jpg

 ここはエントランスホールがとても長く、御覧のような立体的な絵が飾られています。


雅叙園のホール.jpg


 假屋崎さんのお花がとても雅叙園にマッチしていてより豪華絢爛な雰囲気になっていましたが、普通の催し物でしたら負けてしまいますね〜。


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 男子トイレには橋も架かっています。





近所でクマ目撃!!

 昨夜から札幌市内の円山・宮の森近辺でヒグマの目撃情報が多発しています。

 神宮前の第二鳥居、円山球場・・・、そして山の方面に向かっている目撃情報・・・、




 段々とウチに近付いているではないですか!!



 本日朝から裏参道のマンションのお客様の壁紙の張り替えがあり、円山動物園の横を通り過ぎて行くと、パトカー7〜8台とすれ違いました。


 動物園の入り口も封鎖して・・・、マスコミの記者たちが10名以上・・・、あまり見たことのない光景。



 
  なんと、秋篠宮殿下がご訪問中だったのですね。




 しかもすぐ近所でクマ騒動。1メートルくらいのが1頭、2メートルくらいのが1頭。
恐らく逸れた親子クマでしょうか。






 「今日は小学校に娘を送って行ったんですよ。」


 お母さんたちも大騒ぎだったそうです。




 帰ってから夕方頃にウチの庭にいないか探してみました。(キツネやリスは前をテクテクと歩いて行くことがありますが、さすがヒグマはいませんよね。)


 近所のネコたちも、せわしなくウロウロするなど、いつもと違う動きをしています。


からだを張って、『謝謝台湾!』

 東日本大震災の被災地に台湾から、200億円を超える義捐金が寄せられたことはすでに報道されていますが、その行為に感謝の気持ちを伝えようと日本の男性水泳選手6人が沖縄県の与那国島をスタートしました。

 サメや人食い魚も生息する海域での泳ぎは、まさしく命がけです!


http://strongheart.jp/nittai-sc/

 参加した男性は、

 「泳ぐことで両国の友情を次の世代に引き継ぐことが使命だと思っている。被災地の子供たちに勇気と希望を与えるために泳ぎたい。」

 と語ったそうです。

 う〜ん、すごい!

 無事に到着してくださいね。




 最近札幌市内を中心に、台湾からの観光客がかなり戻りつつありますが、安全PRをかねて北海道へ300人の団体を送るなど、台湾政府を中心に国を挙げての支援の効果が出てきているのでしょうか。

 「戦前からの日本の支援のおかげで現在の台湾がある、そのお礼がしたいと常に考えていた。」

 とは台湾(内省人)の方の一般的な考え方だそうです。

NHK 美の壺でモリスが紹介されました

 9月8日放送分のNHK美の壺は『壁紙』特集でした。

 空間を変えるという演出と同時に「心を満足させる演出」の大切さを説いたウィリアム・モリスの『TRELIS(トレリス)』と『WILLOW BOUGH(柳の枝)』が紹介されています。


モリス 002.JPG

 Willow Bough ブルー


ウィリアム・モリスのトレリス

 Trelis ベージュ


http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/newprogram.html


 モリスの作品にもありますが、3Dやだまし絵の素敵な壁紙も紹介されていました。


http://www.nhk.or.jp/tsubo/diary/index.html

 とても楽しいです!

ピエロ・フォルナセッティの世界

piero fornasetti

ピエロ・フォルナセッティはイタリアのミラノ生まれの芸術家で、伝統的なモチーフを大胆なデザインで食器・ランプ・インテリア・絵画など多岐に渡る作品に残しています。





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毎日拭かないと・・・


 フォルナセッティの残したデザインをインテリアで楽しむことが出来ます。





だまし絵のようなfornasettiの壁紙

 だまし絵のような本棚のデザイン。




有名な太陽のデザインモチーフ

 有名な太陽のデザイン。




一番fornasettiらしい壁紙です

 一番彼らしい作品ですね。




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 見本帳が常備在庫してありますので、是非一度ご覧になってください。

溢れ出る印象派の宝庫 オルセー美術館


パリ国立オペラ座の室内。シャガールの天井画が見られる_1.jpg


 バレエ発祥の地、パリのオペラ座には二人の若き王子様がいます。


 マチュー・ガニエ(25)とマチアス・エイマン(22)。


 それぞれ20才と21才という若さでオペラ座のトップエトワール”に任命された実力派の二人ですが、甘いマスクと美しい肢体で次代のバレエ界を担う存在として注目されています。


 シャガールの描いた美しいヴォールト天井の優雅極まりない空間で、彼らは『ジゼル』を高貴な表現力によって演じ、拍手喝采を浴びています。

パリの王子様、マチュー・ガニオ_1.jpgバレエ界の貴公子、マチアス・エイマン

 バレエは15世紀のイタリアやフランスの宮廷で舞踊劇が演じられるようになったことがきっかけで、1581年にフランス王アンリ3世の結婚を祝う式典で『王妃のバレエ・コミック』を上演したのが始まりで、その後、バレエという名の舞踊劇がフランス宮廷で盛んになりました。

 1661年、自らがバレエの踊り手だったルイ14世が王立舞踊アカデミーを創立、現代のバレエの基本がここで作られました。

 18世紀中旬にはロシアのペテルブルグでも帝室舞踊学校が創立されロシアにもバレエが根付くことになり、19世紀の前半にはトゥ(つま先)で立って踊る技法が初めて誕生しています。

 女性の衣装に薄い素材を用いるようになったのが、ロマンティック・バレエのゆえんと言われています。

マリインスキー劇場の舞台_1.jpg

 現代のような回転や跳躍といった高度な技法にまで発展したのは、フランスが一時期退廃させたバレエ界を、ロシアのロマノフ王朝が支えて発展させてきたことも大きな要因の一つです。


 3大バレエとして有名なチャイコフスキーの『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』は19世紀の後半に発表されました。


 それらを演じたロシアのバレエ団によって、バレエ人気は世界中に広まり、バレエの伝統が廃れることなく受け継がれてきたのです。



ドガの『ダンス教室』

 1870年代、フランスの印象派の画家エドガー・ドガはオペラ座の舞台や稽古の風景といった踊り子をテーマにした作品を描き始めました。

 ドガがこのようなテーマの絵画を描き続け、それが名作といわれるゆえんにもなったのには、当時の市場のニーズに合わせていたということと、彼にとって経済的にそれが必要であったことが革命後のフランスの社会情勢や、ドガ一族経営の銀行が倒産したことからも伺われます。


ドガの踊り子


 描かれているのは、薄衣のチュチュをまとい、トゥシューズを履いてつま先で立つ、現在も一般的にイメージされるバレエ像はこの19世紀という時代に確立されたものでありました。

 当時のダンサーには男性はほとんどいなく、貧しい家柄出身の少女が多く、踊り子になる目的の一つはパトロンを得ることであったようです。

 ドガの描いた絵にも、愛人探しと化した舞台裏の姿を赤裸々に描かれています。


 現代のように、ガニエやエイマンといった男性スターの出現、踊りよりも育ちのよさや天賦の才能あるプリマドンナにだけ開かれたバレエ界を、ドガはどのように眺めていることでしょう。


オルセー美術館の内部ホール_1.jpg

 パリのオルセー美術館(Musée d'Orsay) は19世紀の印象派専門の美術館として1986年に開館しました。

 もともとオルセー駅の駅舎として使用されていた美しい建物には、鉄道駅であった名残が残されており、垂涎の印象派の美術品と共に世界中の人々から愛されています。


 そんなオルセー美術館で歴史の一片を手繰り寄せながら作品に触れてみると、まるで鮮明な自らの記憶のように感じられ、印象的に蘇ってくるのではないでしょうか。

 企画展も開催されており、現在はアールヌーヴォーをテーマにした、Art Nouveau Revival 1900.1933.1966.1974展(2010年2月4日までを開催しています。




 居住空間を印象的にリフォームすることのお手伝いを致します。

 自分自身のために、本当に安らぐことが出来るオンリーワンの空間を、まるで絵画のように創り上げていく。

 偉大なる歴史が創られるのと同様に、生きている証を御自身のために創造するのは素晴らしいことです。

 

願い事が叶う、特別なしし座流星群

しし座流星群と富士山.jpg

 今朝の4時〜6時頃、しし座流星群のピークでしたね。

 しし座流星群は、33年に1度の周期で地球に近づく「テンペル・タットル彗星(すいせい)」がまき散らしたちりの帯を地球が横切る際、大気とちりが摩擦を起こして輝きます。


 毎年この11月中旬頃に観測され、2001年には流星が1時間に数千個も雨のように降り注ぐ「流星嵐」が見られました。

 今年は、彗星が約500年前に地球に近づいた際に放出したちりの中を地球が通り、例年より多いと期待されましたが、ピークとなる時間帯は18日午前6時ごろで、日本では日の出の時間と重なるため、空が明るくなってしまいます。


 昨日からさそり座の新月です。

 新月の時に願い事をすれば、満月になると成就すると言われていますが、タイムリミットは明日(19日)の朝四時までです。


 皆さんはなにか願い事はありますか?


竹久夢二の壁紙

竹久夢二デザインの苺


 美人画でその名を知られた画家、竹久夢二


 彼がこの世を去ってから70年以上経ちますが、絵画のほかに、書籍や雑誌の装丁、広告、パッケージデザイン、絵葉書、ゆかたなど様々な分野で質の高い作品を残しています。

 その中でも彼は評価の高いグラフィック・デザインを発表していますが、HONEY HOUSEではその美しい作品の壁紙取り扱っています。


竹久夢二デザインの壁紙


 『縮刷 夢二画集』の「いちょう」〜4色と「いちご」〜2色(1917年)

 『河原蓬』の「よもぎ」(1920年)〜2色

 『闇と光』の「まめ」(1921年)〜4色

 セノオ楽譜「終焉」の「しま」(1927年)〜4色

 『草の実』の「むじ」(1915年)〜4色



 の計20色を取り揃えております。

 素材もビニール壁紙とは違い、フリース素材を採用するなど、味わいの深い仕上がりとなっております。





  『朝慕小感』 竹久夢二


 「私達の住むこの地上をして、より美しく幸福ならしめることが私達の任務である」

 ウィリアム・モリスはしばしばそう言っている。


 モリスは詩人として、工業図案家として、生活を愛する一人の芸術家として完全な模範的な市民であった。そんな人が市長に選ばれたら、新東京はいくらか住み好い、モリスのいう「美しい幸福な街」になるかも知れない。

 まず吾々は、日常生活の小さな改良や工夫から「美しい幸福な街」の建設を創めねばなりますまい。


 「賃金労働者が賃金支払者の命ずるままに生産することを強制せらるる限り、奴隷的状態から脱することは出来ず、奴隷的商品の産出は絶えないだろう」という。


 「富とは、自然が吾々に与えるもの、及び理性をもった人々が、彼らの合理的の需要のために自然の賜物から製作したものである。即ち自由な人間らしい墜落していない民衆の快楽に資するものが、富である。」


 この富という言葉を、奢多品の反対の意味を持った品物に代えて、今一度読んで下さい。そうすると、我々の生活を羨ましく幸福にするものがどんな種類のものであるか分かってくると思う。



『婦人画報』231号 大正14年1月より






 夢二の壁紙を使って、リフォームしました。


リフォーム後の室内です

 ベースに「むじ」を使い、アクセントに「いちご」を用いています。

 無機質でつまらなかった室内が、詩的な空間に替わりました。

施工前の状態です

 リフォーム前です



 こんな日常的な空間にさりげなく芸術品を用いることで、生活の意識がより高いものになるのではないかと考えます。

 実際にこの施工を選ばれたお客様は、「余計なものを買う必要がなくなったし、欲しくなくなった。」という意識になられているようでした。

 ご自分をどの周波数に合わせて日常を過ごすのかによって、積み重ねられる毎日が変わります。

 その意味でも、住まいに対するリフォームの仕方、特にインテリアの選定については重要な意味を持ちます。

 
 ぜひ、その古きよき物をあたらしいスタイルで堪能しながら、ご自分だけの新しいサクセスストーリーを綴ってみませんか?

感性の豊な世界遺産

コルビュジェ設計の「トルコの家」月2回、第一・第三土曜日には一般公開される_1.jpg


 機械式時計の国 スイス


 今なお、このようなイメージが強い国スイス。


 現在ではクオーツによる大量生産の時計がその大部分を占めていますが、過去から現在まで文化遺産としての世界的にスイス以上の国は無いのでは。

 
 その中で、時計製造のためだけに創られた街― 。


 カール・マルクスが『資本論』の中で「巨大な工場都市」と表現した、ラ・ショー・ド・フォンは、現在もまさに全体が一つの時計工場として機能している希少な街です。

 元は農村にすぎなかったこの街に時計作りが伝わったのは17世紀。

 夏は農業、冬は武器作りをしていた農民たちが、手先の器用さを生かして時計作りを始めたのが始まりで、18世紀に入ると組立工場も出現し、時計作りの専門職も現れました。

 18世紀後半になり、この街で起こった大火事をきっかけに、役所の都市計画担当のシャルル・アンリ・ジュノーが特定の産業だけの街への計画を進めました。



 建物は自由に建てられ、思い思いに塗られた壁の色、アールヌーヴォー調に美しく施された装飾。



 建築的な効率のよさをふんだんに計画に取り入れてはいましたが、決して街並みを強制することは無く、基本計画の他は住民や資本化が協調精神によって分担して整備して行き、このような美しい街並みが完成したのです。

 このスイスの小さな美しい町「ラ・ショー・ド・フォン」が 世界遺産に新しく登録されました。





 中世から続くこの街に、世界遺産の候補になっている場所があります。

 
 コルビュジェが両親のために設計した「ジャンヌレ=ペレ邸(白い家)」_1.jpg


 ル・コルビュジェが彼の両親のために設計した「ジャンヌレ=ペレ邸」は、その白い外観からラ・メゾン・ブランシェ(白い家)とも言われています。

 薄暗く開放感が無い玄関から中に入ると、中に入るにつれ徐々に明るくなり、リビングルームに足を踏み入れた瞬間にまばゆいばかりの光に包まれます。

 常に光を意識して作ったコルビュジェ、その粋な演出はこの街の基本的な計画を十分に理解して設計したからに他ありません。



 白い家のインテリア。家具などのデザインもコルビュジェがデザインした_1.jpg


 インテリアや家具も彼が両親のために設計した当時のものが残されています。


 モダニズムの父とも言われた彼は、決して後世に伝えられたようにシンプルなたたずまいのみならず、美しい壁紙や色調に優れたインテリアを十二分に取り入れています。


 光を制し、色彩を制する。


 そんな人間にとって一番必要で大切な感性を大切にしたからこそ、彼が巨匠と言われるゆえんなのです。


 花参道では自然の色彩の美しさや感性を室内空間に取り入れるお手伝いを致します。


世界一美しい家 レッドハウス

レッドハウスの経験から、様々なファブリックや壁紙のモチーフの作品が生まれました

 1859年に結婚したウィリアム・モリスとジェインは、友人のフィリップ・ウェッブに新居の設計を依頼しました。

 ウェッブはモリスの新婚生活のために無償で仕事を引き受けます。

 国内やフランスなどの建築物を見て回ったモリスとウェッブは、1960年にこの「レッドハウス」と言われる美しい家を完成させました。

 この「レッドハウス」は、モリスの生涯において極めて重要な意義を持ちます。

 一つは、モリスのために建てられた、最初にして唯一の家であること。

 そして、この「レッドハウス」を実験の場として、内装を友人達と協働で仕上げてゆきました。

 後のモリス・マーシャル・フォークナー商会です。


 ゴシック建築や教会のエッセンスを巧みに取り入れた「レッドハウス」の敷地内には、四季折々の木々や花々、そこに集う野鳥たちがこの赤レンガの家を彩ります。

 モリスは果樹園の中に家を作って、りんごや梨、桜に囲まれて暮らしたいと考えていました。

 もともとある地形や木々を伐採しないようにして設計したのです。

 モリスは彼の事業のために、わずか5年でこの美しい家を手放すことになりますが、ここでモリスが生活の中で培ったなかで生まれたテクスチャーやモチーフは、後のアーツ・アンド・クラフツやアール・ヌーヴォーにおいても多大なる影響を及ぼします。

 今ではこの「レッドハウス」は「世界一美しい家」と呼ばれ、現在では世界中からこの美しい家を訪れています。

 モリスが手放した後も、数回にわたって持ち主が変わりましたが、どの所有者もウィリアム・モリスの面影を消さないように努めたそうです。


レッドハウスの天井には個性的なディステンバーの模様が

 HONEY HOUSEではこの「レッドハウス」に使われた装飾デザインの壁紙を販売・施工しています。


 HONEY HOUSEは札幌市の宮の森・円山地区でステキなリフォームを提案するアトリエです。

アーツ&クラフツとモダニズムの融合

モダニズム様式の住宅にはアーツ&クラフツが美しく映えます

 日本のモダニズム建築やポスト・モダン調などのデザインをされた住宅やマンションの一室や室内は、白い壁に直線基調にデザインされたものが多いことが見受けられます。

 モダニズムの提唱者のル・コルビュジェは、彼自身が建築家よりも画家になりたかったと言っていたように、機能的でありながらも魂すら揺さぶるような色彩の豊かさを居住空間に求めていました。

 英国で起きたアーツ&クラフツ運動から、世界中に広がったアールヌーヴォー、そしてアールデコ。

 モダニズム建築や様式は、その後にそれらの芸術様式とは一線を画するように広がりましたが、過去の偉大なる遺産を十分に昇華して解釈することなく今日に至っている気がします。

 ル・コルビュジェは、その作品が世界遺産に登録されようとしている建築物や、現代にも通じる椅子の製作を手がけていましたが、晩年は友人のパブロ・ピカソにも影響を受けたと思われる絵画作品を精力的に遺しています。

 実験的に住宅の中に絵画を自ら描いたように、もう少し長く生きていたなら、きっとそれらの融合に精力を注いでいたことでしょう。

 均整の取れた、機能的な美しさを醸し出すモダニズム建築の大きな窓から、鮮烈なアーツ&クラフツやアールヌーヴォーの芸術が姿を見せる様は、時に息を飲むほどに美しく、観る者を魅了します。

 

アールヌーヴォーの傑作ホテル

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 プラハの中心部、ヴァーツラフ広場に面しているアールヌーヴォー様式の高級ホテル、ホテル・エヴロパ(ホテル・ヨーロッパ)を紹介します。


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 当時から残された木製の回転ドアを通ると、19世紀のヨーロッパの贅沢なしつらえのインテリアが迎えてくれます。


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 奥には優雅な雰囲気を残したままのカフェがあり、ヴァーツラフ広場からもその様子を伺うことが出来ます。

 時が止まり、そしてタイムスリップでもしたかのような感覚はアールヌーヴォー建築の醍醐味と言ってもいいでしょう。

三岸好太郎美術館へ行こう

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 札幌出身の画家、三岸好太郎の作品を展示しています。

 三岸好太郎は1903年生まれで、戦前のモダニズム代表する画家の一人です。


 ここには、なかいれいさんのおばけのマールも展示されており、何度か足を運んでいます。

おばけのマールは三岸好太郎美術館と彼の作品がテーマとなっており、絵本の中で彼の絵から抜け出したキャラクターが生き生きと描かれてとても楽しいです。

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 三岸好太郎美術館の2階に、当時最先端のモダニズム建築を取り入れた、彼自身のアトリエの模型と写真を見る事が出来ます。

 この三岸好太郎美術館自体も彼のアトリエをイメージして、モダニズムを取り入れて建築されています。

 建築家になりたかった彼は自分のアトリエをスケッチに残し、その案をワイマールのバウハウスで学んだ山脇厳が設計しています。

 1934年に東京に建てられたこの当時最先端のアトリエの完成を見守ることなく、31歳の若さで亡くなっています。


 コルビュジェが先導したモダニズム建築に影響された佳作を、この美術館でも見る事が出来ます。

世界最高傑作の住宅

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 パリ郊外、セーヌ川を見下ろす丘の上の森の中に建つ、近代建築の住宅の最高傑作といわれている、ル・コルビュジェのサヴォア邸を見てきたときのお話です。

 1931年に建築されたこの家は、予算等の都合で当初の大きさから四分の三にスケールダウンされていますが、「近代建築の五原則」で唱えた「自由なファサード」の通り、建物四面全てがファサード(建物の正面)になっています。

 従来の石造りの建物と違い、鉄筋コンクリート造の構造は、コルビュジェに芸術作品のような自由なファサードを実現させています。


サヴォア邸の北側_1.jpg

南側からみたサヴォア邸_1.jpg

 室内どこから見ても、ご覧のような開放感がいっぱいのデザインになっており、見る人を魅了します。


 モダニズム建築から現代のポストモダン、という現代の日本の住宅産業でも今なお主流にもなっている解釈は、コルビュジェがこの時代に確立したものでした。

 一見、直線とアクセントとの単調な繰り返しにも見えるデザインは、綿密な計算と自然の英知とのバランスの上に成り立っています。

 実は彼はもともと画家を目指しており、建築家として名を成した後も様々な解釈の絵画やカラーリングを試しており、建築物にも晩年作品(?)といえるものを残しています。


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 アイリーン・グレイという先鋭の女性建築家が1929年に建てた住宅「E.1027」に彼女が不在のときに無断で壁画を書き出して、それが現在にも残っています。

ポストモダンへの回答は色彩であった_1.jpg

 素っ裸の生まれたままの姿で、建築の巨匠が無断で人の家に上がりこんでなぜ絵を描いたのかは様々な説がありますが、彼が住宅の中に色彩を強烈に求めていたことは間違いない事実でしょう。

 無機質、と間違った解釈をされがちなモダニズム及びポスト・モダンですが、自然の色彩などを取り入れようとしたコルビュジェの求めていたものがここにあります。

 人間的な真のモダニズム建築をご一緒に作り上げてみませんか。

風のガーデンのハニーサックル

風のガーデンの赤いハニーサックル_1.jpg

 富良野へのお墓参りのついでに、富良野プリンスホテルの敷地内の、「風のガーデン」に寄って来ました。

 ハーブや山野草を中心にした花々を植え込んであり、自分好みの素敵なオープンガーデンでした。

 また、余談ですがプリンスホテルの入り口に、ニングルの森という可愛らしい山小屋風の建物が、ウッドデッキで山間に作られた通路のあちらこちらに点在しており、とてもメルヘンな雰囲気です。



 自分の庭にもあるのですが、ひいき(笑)しているのか同じハニーサックルを見つけました。


 そこで上の写真を一枚。



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 つたが絡み合った様子を、本物のように再現したウィリアム・モリスのハニーサックル。

 あなたの家の中にも自然の恵みで華やかに飾ってみませんか?
 

プラハの教会

ゴシック様式の代表的建築物_1.jpg

 プラハ旧市街高台にある天を突くようなゴシック様式の1344年建築の聖ヴィート大聖堂です。

 あまりにでか過ぎて、城壁内から一番離れてもこんな感じで入りきらなかった。。。

 ゴシック様式の特徴を内部からも見ることが出来ます_1.jpg


 声響きます。

美しいステンドグラス_1.jpg

 写真で大きさを表現できないのが残念です〜。


プラハ中心部に位置するゴシック様式の教会_1.jpg

 街のど真ん中にあるゴシック様式の1380年に建てられたティーン教会です。

 同じゴシック様式でも解釈が違いますが、これは大聖堂と教会の違いも影響しています。

 大聖堂は一つの司教、つまりプラハにはここしかありませんが、教会は多数存在します。教会は社会組織、大聖堂は建物です。

 これはどこの都市でも同じです。


聖イジー教会_1.jpg

 ここで一番観たかったのがこのロマネスク様式のイジー教会堂です。建築は921年と最古の歴史を持っています。城壁内を入ると丁度中心部に建っています。

 シンメトリー建築(左右が完全に対称になっている)としても代表的なもので、建築の教科書にも必ず載っています。

見事なヴォールト天井_1_1.jpg

 天井がお花の模様みたいでとても印象的でした。

街中のアールヌーヴォー 5

ロマンチックなアールヌーヴォー_1.jpg

 ちょっぴりロマンチックなアールヌーヴォーです。

 アルフォンス・ミュンシャの絵が似合いそうですね。


 プラハはアールヌーヴォー建築に限らず、建物の外観にこんな絵を描くことが多いです。

プラハ最古のビアホール

大きな時計が目印のビアホール

 創業1499年、プラハで一番古いビアホールの「ウ・フレク」で一杯いきました。


ホール内は決して広くはないが、居心地は良い

 当時の面影を残したままの店内はクラシカルで、ここは黒ビールがとても有名です。

 最初から冷えひえではないですが、ぬるくなっても濃厚な味わいは変わりません。

 ぬるいビールってとても苦手なんですけど、ここまでおいしく飲めたのは初めてです。

 今日もこのたたずまいは変わらないのでしょうね。

 入り口の時計と、室内の大きな時計が印象的です。


 わたしが入ったときは、家族連れが一組だけでした。

 こんなに空いているのはとても珍しいそうです。

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