ウィリアム・モリスとシックハウス

 ウィリアム・モリスは、ファブリックの染め物や壁紙の塗料に、自然素材を使っていたことでも有名ですが最初は自然素材の染料がほとんど衰退したこともあって塗料の選択に苦労したのではないでしょうか。

 モリスは化学染料が時間の経過とともに、けばけばしい絶望的な退色になっていくことを嫌い、最初の3作、「ディジー」、「トレリス」、「フルーツ」は鉱物塗料を使っていたとの記録があります。

 産業革命が興っていた当時は、安価な化学染料が大量に流通していた時代であり、他のデザイナーや壁紙を制作する会社も同様に化学染料や鉱物を使用していたようです。

 ブルーにはラピスラズリやアズライトなどのパワーストーン系の色もありましたが、橙色には鉛、緑色などにはヒ素が使用されていました。

 ヨーロッパではインテリアや壁紙に使われたヒ素などによって、体調を崩したり、命を落としたりする小さな子供やお年寄りも多かったとの記録があります。

 かの有名なナポレオン・ボナパルトも、遺体から高濃度のヒ素が検出されたために、死因は壁紙に含まれたヒ素が原因ではないかとの説もあります。

 いわゆる現在のシックハウス症候群がこの時代にも起こっていたのです。



 モリスは壁紙のヒ素などで命を落とす子供たちを憂い、壁紙の塗料やファブリックなどの自然素材で作る染料の開発にも精力的にエネルギーを注ぎ、生涯をかけて取組みました。

 モリスの作品によっては(例えばブレアラビットのように)完成までに数年を要した作品もあるのですが、取り扱いが困難な自然素材での染色に何度も何度も失敗を重ねたり、開発までに時間を要したことも時間がかかった原因のひとつのようです。

1882 brother rabbit


 1862年から1870年までに、モリスが壁紙を3作しか作らなかったことから、染料の問題もあったことも推測されます。

 1870年代に入って、モリスの壁紙の制作を請け負っていたジェフリー社の技術も向上し、安全な自然素材の塗料を使用した壁紙の商品化にも次々と成功しました。

 最終的にモリスはファブリックについては、スタンフォードシャーのリークというところに住む高齢の印刷工を見つけ、彼が自然素材での伝統的な染色法を記憶してたことから化学物質の染料の代替え品の開発に成功しました。

 しかも化学染料よりも長持ちすることを証明したのです。

Jeffrey&Co.



この日本でもシックハウスが本格的に有名になったのは、2000年頃からでしょうか。

 しかしモリスの時代のように、現代でもシックハウスは無くなっておらず、大手のハウスメーカーさんの建てた新築に入居して、体調を崩された方や、命を落とされた方も現実にいらっしゃいます。

 その後シックハウス法が整備されたのですが、建材の基準自体がホルムアルデヒドの古いヨーロッパの数値を基にしたもので、基準数値以内であれば体調が崩れない保証をするものでは決してありません。

 ホルムアルデヒドの代わりに使われている化学物質は、法規制がされていない化学物質が採用されていますし、その化学物質に体調を崩す人がいる限り、シックハウスは無くなることはないのでしょうか。

 安価な建材は生活の質や豊かさまで著しく低下させますが、体調や命まで奪うこともあります。


pimpernel

 ウィリアム・モリスは、特に新築マンションで良く使われる500番等の激安なビニールクロスとは大きく違い、安全な糊で施工することによって、シックハウス対策としても有効な芸術品です。こんなに色使いが綺麗でも、安心して楽しむことができるのです。

 当然価格は高くなりますが、費用対効果はそれを遥かに上回り、豊かな生活の大切さに気付かされることでしょう。

 次の回では、シックハウス対策の為の具体的な選択方法を解説します。




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